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感染症としての文学と哲学 [読書日記]

文芸批評家・福嶋亮大さんの著作。古今の文学・哲学がどのように感染症と関わってきたかをたどる。古代ギリシャから中世、現代まで(西欧が中心だが)、多くの著名な作品に創作の契機、作品の背景としてペストやコレラ、結核といった感染症がある。第2次世界大戦後からつい2年ほど前まで、世界は疫病のことなど忘れて暮らせる稀有な時代だったのだという。

そうした時代に生まれたのが自由主義であり、グローバル化でさらに新自由主義が世界を席巻した。パンデミックで公衆衛生の要求が高まり、世の中は自由を規制する傾向にある。新しい日常とは、自由を制約する新たな規範のことだと喝破する。そして「コロナが世界を変えた」という言質には警戒せよという。パンデミックが浮き彫りにするのは資本主義の強者が勝ち誇り、弱者が一層脆弱になる構図。「危険の分配」の不平等は明らかで、収入や人種によって死ぬ確率が決まってくる。これまでの感染症と同様にコロナ禍でもそれが繰り返されている。

多くの著作や解釈が紹介されている中で、心に残った箇所は以下の通り。
・梅棹忠夫の「文明の生態史観」は宗教と疫病の類似性を指摘している名著。
・新自由主義社会の病理は、感染よりも梗塞のモデルになった。それは心の梗塞であり、感染はネットの世界の病理となって現れた。
・安部公房の「密会」。「人間社会そのものがある意味病院みたいなものではないか」「治療の観念には人間の欠落の補修という動機があったはず」
・パンデミックの占領下では、時間はあまりに速く過ぎ去り、あまりに遅く進む。社会の正常なカレンダーは解体され、その異常事態にもやがて慣れてしまう。カミュの「ペスト」の戒め。「絶望に慣れることは絶望そのものよりもっと悪いのである」。
・村上春樹の作品は「自己療養」の文学。
疫病を抜きに文学は語れないと改めて思った。


感染症としての文学と哲学 (光文社新書)

感染症としての文学と哲学 (光文社新書)

  • 作者: 福嶋 亮大
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2022/02/16
  • メディア: Kindle版



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