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東大生と学ぶ語彙力 [読書日記]
難しいことをやさしく書いてあるので、たまに読むジュニア新書。ちくまプリマー新書の「東大生と学ぶ語彙力」(西岡壱誠著)を読む。常々、小さい頃から外国語を学ぶより、まず日本語の語彙の力こそ付けるべきだと考えている。この本は受験を制するにも問題文を正しく読み解く語彙力が必要だと説く。その通りだと思う。
数学に苦手意識がある自分。今でも必要条件と十分条件、数学的帰納法と演繹法という話を聞くと、モヤモヤする。たぶん、その言葉が出てきた時にキチンと理解していれば理系に進んだろうにと、今更ながら思う。必要十分条件では、豆腐料理の話で、帰納法と演繹法は野菜好きの話で分かりやすく解説してある。
得意の社会でも食糧と食料の違い(食糧は主食、食料はその他の食べ物も含む)を再確認したし、歴史というのは結局は領土の奪い合いがテーマになっていると指摘され、確かにと頷く。日本語の小説を英語に訳す勉強法でもっと語彙力が高まるという話を読み、かつてフランス語を勉強して日本語の言葉の奥深さを感じたことを思い出した。古語の「こころ」という言葉の多様性も頭に残った。古語辞典を久しぶりに開いた。
マティス展とローランサン展 [アート]
六本木の国立新美術館で「マティス展」を見た。「ブルー・ヌード(青い人)」に代表されるデザイン性の高い作品。「自由なフォルム」は最近の自分の気分にぴったり。こうでなければならない、という拘りを捨てて毎日を過ごす。そんな気持ちをマティスの作品は呼び起こしてくれた。
多くの作品が撮影可で油彩から切り紙絵に変わっていくさまを理解できた。てっきり絵の具だったと思っていた作品が色紙を貼り付けた絵だったとは。モダンな帯のような柄の大きなデザイン。記念に買ったシークレット・ポーチはそのデザインだった。マティスがデザインしたヴァンスのロザリオ礼拝堂も再現されていた。
東京滞在中には、京橋のアーティゾン美術館であっていた「マリー・ローランサン 時代を写す眼」展も見た。久しぶりのローランサン。柔らかなタッチと明るい色使いがパリの空気を伝える。ミラボー橋の歌詞を口ずさむ。二日酔いの少しだるい心身をやさしく包み込んでくれるようだった。
アン・サリー Live at 能楽堂「緑光憩音」 [ミュージック]
アン・サリー Live at 能楽堂「緑光憩音」を表参道の銕仙会(てっせんかい)能楽研修所で聞いた。能の舞台でライブというのは初めての経験。歌い手と観客の距離が近く、いい感じで盛り上がった。
ジャズから昭和の歌謡曲、ポップスまで、オリジナルも含めて、澄んだボーカルで歌い上げる。独特のコブシのようなアクセントが曲に表情を与える。フーテンの寅さんや、銀河鉄道999もアン・サリー風に料理してしまう。999ではついグッと来て涙ぐんでしまった。
1時間半で10数曲くらい。アンコールは、最初に買ったアルバムに入っていた蘇州夜曲。内科医として現役で診療する傍ら、ライブをこなす。歌うことがきっと自らの癒しにもなっているのだろう。連休の初日に歌の診療所で気分のいい時間を過ごすことができた。
中村仲蔵〜歌舞伎王国 下剋上異聞 [シネマ&演劇]
藤原竜也主演の舞台「中村仲蔵〜歌舞伎王国 下剋上異聞」を池袋のブリリアホール(豊島区立芸術文化劇場)で見た。血筋がモノをいう歌舞伎の世界で実力でスターの地位をつかんだ男の物語。今も引き継がれる團十郎や勘三郎といった大看板の役者たちが登場人物として出てきて、伝統芸能の歴史つなぐ厳しさを考えたりした。
相変わらずの藤原の熱演。市原隼人、高嶋政宏らが脇を固めた。「好きな芝居が出来ないなら、生きる意味がない」といったセリフは藤原自身の役者魂と被って見えた。舞踊もしっかり練習したのだろう。堂にいった出来栄えだった。
源孝志脚本、蓬莱竜太演出。講談やドラマにもなった話らしいが、迂闊にも知らなかった。歌舞伎の演目や役者に詳しければ、2倍楽しめる舞台だと思った。
天才バカボンのパパなのだ [シネマ&演劇]
下北沢演劇祭で「天才バカボンのパパなのだ」(本多劇場)をみた。バカボンは、いわずと知れた赤塚不二夫のギャグ漫画の傑作だが、芝居の脚本は別役実。不条理劇の大家がどんな本を書いたのか。構えて見たが、抱腹絶倒の舞台だった。
簡単に言えば、国の治安を守り国民に対しても親切な(でも実は偉そうな)警察官をバカボン一家がおちょくる話。権力を相手に回した庶民の抵抗と位置付けられないことはないが。ただ、バカボンのパパもママもバカボンも皆マジメ。マジメにふざける、メチャクチャなことをするのだ。堪忍袋の緒が切れた署長はついに銃を抜き・・・
以前、別役の不条理劇に出演していた俳優の高田聖子さんがすぐ近くの席で観劇していて、びっくり。でも最近は舞台でバカなことを描いても、現実が結構バカなことが多いので舞台の人も大変なのではないか。でも、昭和のギャグ漫画をタイトルにした舞台はちっとも昭和くさくなくパワー全開で楽しかった。
オデッサ [シネマ&演劇]
三谷幸喜作・演出の「オデッサ」を福岡・キャナルシティ劇場でみた。推しの宮澤エマが警部役で通訳に柿澤勇人、犯人役に迫田孝也という配役。3人の登場人物が2つの言語を話し、一つの真実に迫る。英語と日本語(薩摩弁)の掛け合いの面白さ。上質のコメディだった。
テキサスのオデッサという田舎町が舞台。ウクライナのあのオデッサに居たロシア人が米国に渡り、開拓した村という。ロシアによるウクライナ侵攻が続く中、深読みすれば、言語の違いによる意思疎通の難しさや、文化・考え方の違いをコメディ仕立てで表現したとも言えるが、「まあ硬いこと言わずに笑えればいいじゃん」という感じで1時間45分を楽しんだ。
大河ドラマでの宮澤とは打って変わって、ネイティブ英語ペラペラの舞台(英語セリフ監修も務める)。逐一、舞台のバックに日本語訳が出て、なんとか事態を切り抜けよう、誤魔化そうとする「にわか通訳」とのやりとりがテンポがいい。鹿児島出身という想定の犯人役・迫田は実際に鹿児島生まれで、ネイティブの薩摩弁(特に独特のアクセント)が効果的だった。三谷のオープニング挨拶も調子に乗って鹿児島弁でねっとりとスピーチ。何もかも計算されたセリフ回しが素晴らしかった。
コロナと潜水服 [読書日記]
奥田英朗の短編集「コロナと潜水服」を読む。何かストーリーが読みたいと思った時は、最近は奥田英朗。たまたま読んでない短編集があり、メルカリで手に入れて読んだ。
タイトルになっている作品は、まさにコロナ自粛期間の真っ只中に書かれた一編。どこで感染るかわからない未知のウイルス。世界がパニックになった4年前を思い出す。読みながら、忘れていた不安な気持ちが蘇ってきた。考えてみれば、あの時の在宅ワークはすっかり会社に定着し、ズーム会議、ズーム飲みも普通になった。作品を読みながら、過去のこととしてコロナの時代を読んでいるのだ、客観視できるようになったのだと時の流れを感じたし、感染症と戦ってきた人類の歴史、人類のしたたかさを改めて思ったりした。
どの作品も日常生活でありそうなシチュエーションを「奇想」でもって、予想外の方向へ展開していく。でも最後は、「そうだよね」という暖かなところにおさまる。真っ当な人生の考え方、愛のあるストーリーテラーだと思った。
巻末に作品中に出てくる楽曲のプレイリストが付いていた。QRコードを読み込むと、Spotifyに飛び曲のさわりが聞けるという趣向。面白い試みだと思った。
イプセン [読書日記]
井上ひさしの戯曲講座「芝居の面白さ、教えます」<海外編>のイプセンの項を読む。近代演劇の始祖、問題演劇を書き始めた人と言われるノルウェーの劇作家。近年海外でも再評価が進み、舞台で上演される演目が増えているという。
演劇とは、という問いに対する言葉がいくつか。
・私たちが見ないで済ましていることや、見ようとしても見えないものを舞台にしたり小説に書いたり絵で描いたりすると、それを見たり聴いたりした人たちは、自分の心の奥の方にあって、普段はなるべく見ないようにしていることに気づかされる。
・演劇の本質というのは、今の社会で生きている人たちが持っている心の中の、何か見ないふりをしている大事な問題を舞台に出すこと。手法はあまり関係ない。
「ヘッダ・ガーブレル」と「人形の家」を題材に講釈が進むが、導入部の見事さを絶賛し、芝居をやる人はお手本にすべきだと指摘する。イプセンの「市民の家庭の中から社会の問題を書く」というスタンスが、当時の演劇界では新しかった。それは今も変わりがない。
「レトロスペクティブ・テクニック」=懐古分析法は、登場人物の履歴・過去を細かく設定しておき、その中から必要なものだけをバラバラにして舞台の会話の中に当てはめていく手法。演劇的アイロニーという言葉も知った。
目標がないと人間は生きられない。しかし、その目標を達成すれば幸せかというと、必ずしもそうではない。こうした自己実現というのは不毛なのか。「人形の家」では、そうした時代の病とも言えるテーマを掲げている。女性の自立の物語として読まれることが多いが、それだけではない。
旅する哲学 大人のための旅行術 [読書日記]
「旅する哲学 大人のための旅行術」(アラン・ド・ボトン著、安引宏訳)を読む。長いこと書棚にあったが、ついに読む時が来た。ボードレールやフロベール、フンボルト、ワーズワース、ゴッホ、ラスキンら先達の旅の作品を綴りつつ、著者自らも旅に出て、そのあり方を考える。哲学と言っても難しい話ではなく、より楽しい旅の流儀を提案する一冊だ。
<旅の効用>
・旅は思索の助産婦である。移動中のジェット機や船や列車ほど、心の中の会話を引き出す場はまずない。大問題を考えるときはしばしば大きな風景が求められ、新しいことを考えるためには新しい場が必要になる。内省的なもの思いは、流れゆく景色とともに深まりやすい。
・私たちが本当の自分に出会うのに、家庭は必ずしもベストの場とは言えない。家具調度は変わらないから、私たちは変わらないと主張する。家庭的な設定は私たちを普通の暮らしをしている人間であることに繋ぎ止め続ける。普通の暮らしをしている私たちが、私たちの本質的な姿ではないかもしれないのだ。
<ラスキンの指摘>
実に美しいと心を打つ場所の多くは、美学的な規準(色彩の適合性、左右対称、均衡が取れているなど)に基づくのではなく、心理的な規準(私たちにとって重要な価値、あるいは雰囲気を備えているかどうか)に基づく。
随所にアンダーラインを引きたくなる指摘が溢れている。それにしても人がまだ自由に地球を動き回れなかった頃、ヨーロッパ人にとっての新大陸を探検し、次々と未知のものを「発見」した探検家・研究者たちの楽しさと言ったら言葉に表せないだろう。南米を踏査したフンボルトの話を読んで特に羨ましく思った。
目的もなく彷徨うのが都市を知る一番の方法、カメラよりスケッチブックを持っていこう、一人で旅をしよう。どこかに今すぐにでも行きたい!!
詩の力 [読書日記]
吉本隆明の「詩の力」を再読する。文庫本の奥付によると、10年以上前に読んだらしいが、内容はすっかり忘れていた。ただ、茨木のり子や谷川俊太郎のページにドッグイヤーがあり、この本をきっかけに詩集に手を出したんだったっけと記憶を辿る。
どちらかというと(というか、はっきり言って)散文頭なので、詩心はない。でも、吉本の批評を読んでいると、詩を読んでみようかという気になる。暗喩(隠喩)は、描く対象を直接に他のものに例える表現方法(例えば、君は花だ)、直喩は二つの事物を比較して示す修辞法(例えば、雪のような肌)といった基本のキから学ぶ。
熊本生まれの谷川雁は、西日本新聞記者出身。森崎和江、上野英信らと「サークル村」を創刊し、三池闘争に加わり革命戦士として戦った。背景にイデオロギーを持った迫力ある詩に目を見張った。また時を置いてページを開けば、新たな発見があるかもしれない。そんな一冊である。
日本の一文 30選 [読書日記]
岩波新書「日本の一文 30選」(中村明著)を読む。夏目漱石から村上春樹まで文壇の著名作家の文章を取り上げ、その表現テクニックを探る。自ら作家に取材した話も多く「へえ」と驚くエピソードもあった。古今の作家の読書案内としても読めた。
作家ではないが、小津安二郎監督作品「東京物語」のセリフも取り上げてある。妻を失った主人公が遠い海を眺めながら「一人になると急に日が永ごうなりますわい」と漏らすシーン。現代人が失った寡黙の感情表現を表す例として挙げる。
初めに読者をおやっと思わせる奇先法、最後にクライマックスを導く漸層法などレトリックの解説や、短編に同じ言葉が出てくるのは興醒めとして同語の繰り返しを避ける文章上のオシャレ=美意識がかつてはあったことに、作家のプロ意識を感じる。川端康成「雪国」の有名な冒頭「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」は、「こっきょう」ではなく「くにざかい」と読むという説。書いた作家は朗読のことは考えずに書いているらしく、日本語ならではの曖昧さも日本文学の魅力の一つになっていると思う。
会田誠が考える新しい美術の教科書 [読書日記]
かつて愛読していた芸術新潮が2月号で「会田誠が考える新しい美術の教科書」という特集をやっていた。会田誠はかつて六本木・森美術館で結構ショックな回顧展を見て、高価なカタログを買おうかどうか迷った思い出がある。そんなわけで久々に芸術新潮を買う。
中学2年生に教える感じでやさしくアート(主に現代美術)の現状を解説する。美術に政治を持ち込もう、美術から性のいろいろを学ぼう、美術でバカ?万歳など、文科省検定の教科書では触れない部分を大胆に紹介する内容。もちろん中学生は建前なので、大人向けで面白く読めた。美術は美術館の外へ出ていき、便器の展示で有名なマルセル・デュシャンが現代美術(前衛)の起源となったことなど基礎知識を学べた。
ドイツのカッセルという田舎町で開かれる「ドクメンタ」という大規模美術展が20世紀後半の美術の一側面を代表する重要イベントになった。「ZINE」という個人や少人数の有志が非営利で発行する自主的な出版物が広がっていて、自分の個人的な思いや考え、主張を自由な形式で反映した小冊子が都内の書店でも一角を占めているという。歴史と新たな動きを知り、アートの今を探訪してみたくなった。
ハムレット [読書日記]
シェークスピアの「ハムレット」を読む。AmazonのKindleで角川文庫の新訳版で問題の有名な独白は、最も人口に膾炙している「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」を採用している。
2003年世田谷パブリックシアターなどで公演された野村萬斎主演のハムレット用に新たに河合詳一郎さんが訳した。舞台でセリフ回しがリズミカルに行くように野村萬斎が手を入れて台本が完成したという。確かに日本語がこなれていて、舞台の情景が頭によく浮かんだ。
演出はジョナサン・ケント、野村萬斎がハムレット王子で吉田鋼太郎が敵役の叔父クローディアス国王。絵画で題材になってきたオフィーリアの身投げの経緯も初めて知った。久しぶりに古典に触れた。
芝居の面白さ、教えます 井上ひさしの戯曲講座<海外編> [読書日記]
井上ひさしさんの戯曲講座、面白かったので「海外編」も読む。最初に取り上げたのは、かの有名なシェイクスピア。例によって様々な方向へ脱線しながら蘊蓄を存分に語る。読めば、「いや、演劇は素晴らしい」と思う。
シェイクスピアの生没年は、ヒトゴロシ(1564)イロイロ(1616)と覚える。ただ、ウィリアム・シェイクスピアという人物が本当にいたのかどうか、実はわからないのだとか。古来、フランシス・ベーコン、クリストファー・マーロウなど別人説がいくつも語られてきたという。作品はいくつかのプロットが同時に進行し、最後には全てが見事に解決する。井上さんは「ハムレット」とチェーホフの「三人姉妹」を挙げて、世界演劇史の奇跡としている。
To be,or not to be,that is the question.ハムレットの有名な独白は何と訳すべきか。坪内逍遥以来、福田恒存、小田島雄志ら多くは「生きるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」としているが、井上さんは前後の文脈から「成り行きに任せるか、それとも自分で動き出すか、それが問題だ」と訳すのが正解ではないかと言っている。ハムレット、ちゃんと読んでみよう。
友達 [読書日記]
安部公房の戯曲「友達」を読む。男の部屋にいきなり押しかけてきた9人の家族が、善意に満ちた笑顔で隣人愛を説き男を翻弄する。谷崎潤一郎賞受賞の作品。
「一人でいたい」という男に「人は一人で生きていけないんだよ」と、お節介な心配をする押しかけ家族。最初は抗っていた男は次第に「世間」という同調圧力に飲み込まれていく。作品が執筆された頃は、同調圧力という言葉は一般的ではなかったろうが、他者との関係をテーマにそういった現代の不安を描いたのは間違いない。「逆らいさえしなければ、私たちはただの世間にしかすぎなかったのに」。ドス黒い笑いで幕が下りる。
戯曲を読む経験はあまりしたことはなかったが、安部公房の戯曲は小説っぽいところがあり、すんなり頭に入ってきた(井上ひさしはこの安部作品について戯曲としては不満と書いていたが)。この何年か、結構、演劇を見てきたので、ト書きから舞台を想像できた。
人工知能の見る夢は [読書日記]
「人工知能の見る夢は」と題したAIショートショート集を読む。人工知能学会の学会誌に掲載されたSF作家のショートショートをテーマ別にまとめ、それに専門家が解説を付けている。知能、心、人間とコンピュータの違いなどについて、SFは古くから思考実験を行なってきた。対話システム、自動運転、環境にある知能、ゲームなどでAIが現実社会に影響を与えつつある時代。SF作品に書かれたことがSFではなくなりつつある世界を改めて実感する。
一部導入されている自動運転は、経済の活性化と高齢社会の課題解決に大きな期待がかかる。チャットGPTは事務処理や創作補助に可能性が見出されている。著作権や倫理面での課題は多々あるものの、AIなしの未来はもはや想像できないところまで来ている。よく出来たショートショートを読みながら、そんなことを考える。
ショートショート集が文春文庫になったのは2017年。すでに7年近く経っていて、秒進分歩のデジタル社会ではAI専門家の解説文もかなり時代遅れになっているのかも(門外漢の自分には目新しい話ばかりだったが)。とはいえAIの入門には楽しい一冊だと思う。
夜のアルバム [ミュージック]
八代亜紀の訃報に接し、ジャズナンバーを集めたCD「夜のアルバム」を聴く。「舟唄」に代表される演歌もいいが、下積みのクラブ時代に歌ったジャズがいい。ハスキーな声に味がある。
猫のような目をした女性、絵心のあるアーティスト、かわいい女というイメージがある。元気であれば、福岡・中洲のジャズフェスで、その歌声を聞けたかもしれなかった。膠原病での急死は本当にショックだった。
フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーンから虹の彼方まで12曲。アルバムがリリースされたのは2012年、東日本大震災の翌年だ。仕事で上京し銀座のバーでかかっていたのがこのアルバムだったっけ。彼女の冥福を祈り一人、歌声に耳を傾けた。
お気に入りのトランクス [雑感]
最近凝っているのは下着、特にパンツである。大人になってからはブリーフではなく、もっぱらトランクス派なのだが、最近は履き心地のよいトランクスが随分と出ている。
歳をとってくると、キレが悪くなるし、おじん臭いのはやはり気になる。髪はアメリカンになっても若々しくいたい。シニアになるほど身だしなみを気にしてカッコよくなければならないと思っている。
その一つがやはりアンダーウエアだろう。ネットなどで話題になっていて試しに買ってみたのがワコールのトランクス「ブロス」というシリーズだ。とにかく肌触りがいい、履き心地がいい。さらっとしていて蒸れない。消臭効果もあるのかな。ちょっといい値だが(イオンに売ってる)、はく価値はあると思う。家族には「娘はユニクロで、父はワコールかい」と嫌味を言われたが、一歩外に出れば何があるか分からん世の中(ときめくこともある?)だから、アンダーウエアはきちんとしたいね。
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山の人生 [読書日記]
遠野物語と対をなすといわれる柳田国男の「山の人生」を読了。神隠しや天狗、山姥など怪異談として伝承されている話の起源を探り、そこに日本列島の先住民の姿を見出す。大正時代に書かれた著作だが、すでにその頃には忘れられた物語になりつつあった数々のエピソードを各地の資料や聞き取りによって掘り起こしている。山人(やまびと)と呼ばれる人たちがいたことなど思いもしなかったが、昔話にもそうした痕跡があることに驚いた。
我々の先祖たちは、怜悧で空想力豊かな子どもが時々変になって、凡人の知らぬ世界を覗いてきてくれることを望んでいた。たくさんの神隠しの不可思議を信じようとしていた。女性が忽然と姿を消したのは、山人が嫁として攫っていったケースも多かったのではないかと推測も。以前聞いたことのある「サトリ」という怪物(人の腹で思うことをすぐ覚って、逃げようと思っているななどと言い当てる)が山中にいる話も出てきて、いろんな事実の断片が様々な言い伝え、民話、迷信などとして残っているのを知った。
山で生活していた先住民がいなくなったのは、同化政策や百姓社会に併合されたり、人知れず土着したりしたらしい。それでも明治の頃までは山中を漂泊していたらしく、目撃譚も多く残っているという。アジアを中心に多くの血が混じっていると思われる日本人だが、山人の血を濃く受け継ぐ人もきっといるに違いいない。
我々の先祖たちは、怜悧で空想力豊かな子どもが時々変になって、凡人の知らぬ世界を覗いてきてくれることを望んでいた。たくさんの神隠しの不可思議を信じようとしていた。女性が忽然と姿を消したのは、山人が嫁として攫っていったケースも多かったのではないかと推測も。以前聞いたことのある「サトリ」という怪物(人の腹で思うことをすぐ覚って、逃げようと思っているななどと言い当てる)が山中にいる話も出てきて、いろんな事実の断片が様々な言い伝え、民話、迷信などとして残っているのを知った。
山で生活していた先住民がいなくなったのは、同化政策や百姓社会に併合されたり、人知れず土着したりしたらしい。それでも明治の頃までは山中を漂泊していたらしく、目撃譚も多く残っているという。アジアを中心に多くの血が混じっていると思われる日本人だが、山人の血を濃く受け継ぐ人もきっといるに違いいない。
探偵マリコの生涯で一番悲惨な日 [シネマ&演劇]
Amazonプライムで久しぶりにシネマ鑑賞する。伊藤沙莉主演の「探偵マリコの生涯で一番悲惨な日」(内田真治、片山慎三監督)。ハードボイルドな新宿、ゴールデン街を舞台に訳ありな過去を持つ連中がマリコのバー(兼探偵事務所)に集う。
それぞれの登場人物ごとにストーリーが語られる展開。ヤクザはともかく、忍者の子孫がいたり、宇宙人が出てきたり、FBIが登場したり、殺し屋姉妹がいたり、結構はちゃめちゃなストーリー。でも何でもありの新宿らしさは出ていたかな。伊藤沙莉の探偵。竹野内豊の忍者役も面白かった。
ゴールデン街のそばの花園神社はテント芝居のメッカ。状況劇場にいた六平直政がテント芝居の役者役で出てきて、唐十郎の話をするご愛嬌があって思わず「いいね」と叫んだ。猥雑なあの街の空気、久々に新宿に行ってみたくなった。
それぞれの登場人物ごとにストーリーが語られる展開。ヤクザはともかく、忍者の子孫がいたり、宇宙人が出てきたり、FBIが登場したり、殺し屋姉妹がいたり、結構はちゃめちゃなストーリー。でも何でもありの新宿らしさは出ていたかな。伊藤沙莉の探偵。竹野内豊の忍者役も面白かった。
ゴールデン街のそばの花園神社はテント芝居のメッカ。状況劇場にいた六平直政がテント芝居の役者役で出てきて、唐十郎の話をするご愛嬌があって思わず「いいね」と叫んだ。猥雑なあの街の空気、久々に新宿に行ってみたくなった。
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