手の倫理 [読書日記]
美学者の伊藤亜紗さんの「手の倫理」を読む。「さわる」と「ふれる」の違いの解釈から、人のコミュニケーションの話へ展開する。直接触れ合うことがリスクになるコロナ時代、リモート会話が日常になる
中で手の感覚の役割、大切さを考えた。
フレーベルの恩物。初めて聞く言葉で、子供が遊ぶ積木や棒、ビーズなどの玩具をいう。フレーベルは幼稚園という教育段階を創り出した人という。幼い子が石を触りながら、それで地面にお絵かきができることを発見する。見る、聞く、臭う、味わう、といった感覚と同じように触感で人はいろんなことを学習し感じている。
書名にある倫理は道徳とどう違うのか。道徳は「○○しなさい」という絶対的で普遍的な規則。これに対して、倫理は現実の具体的な状況で人がどう振る舞うかに関わる。倫理に「一般」はなくて、状況が個別的なのに加えて、判断する個人は社会的、身体的、文化的、宗教的な条件の中で生きており、それぞれの視点で自らの行動を決める。
なるほどと、頷くことの多い一冊だった。
中で手の感覚の役割、大切さを考えた。
フレーベルの恩物。初めて聞く言葉で、子供が遊ぶ積木や棒、ビーズなどの玩具をいう。フレーベルは幼稚園という教育段階を創り出した人という。幼い子が石を触りながら、それで地面にお絵かきができることを発見する。見る、聞く、臭う、味わう、といった感覚と同じように触感で人はいろんなことを学習し感じている。
書名にある倫理は道徳とどう違うのか。道徳は「○○しなさい」という絶対的で普遍的な規則。これに対して、倫理は現実の具体的な状況で人がどう振る舞うかに関わる。倫理に「一般」はなくて、状況が個別的なのに加えて、判断する個人は社会的、身体的、文化的、宗教的な条件の中で生きており、それぞれの視点で自らの行動を決める。
なるほどと、頷くことの多い一冊だった。
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